映画リコメンダーの強い推薦もあり、「海を飛ぶ夢」という映画を見た。リアリズムにあふれる映画だっただけに、今も尚、非常に強い印象を持ったままこのブログを書き込んでいます。
この映画は実話に基づいて作られています。一生の半分をベッドの上で過ごし、自ら死を望んだ実在の人物、ラモン・サンペドロの手記をもとに描く真実のドラマ。
物語の舞台はスペイン。 海の事故で、首から下が不随となったラモン・サンペドロは、26年間をベッドの上で過ごし、その年、自ら命を絶つ決断をする。今もなお、スペインでは法律で認められていない「尊厳死」をめぐり、生と死の意味を問いかける作品です。
この映画のすごいところは、キレイごとを見事に払拭していることにつきます。特に日本以上に宗教的な戒律の厳しいカトリックの国、スペインにおいて、宗教をも敵に廻し論議を起こさせようとする、この監督の度胸に恐れ入りました。
そんなガチンコを具体的に描くシーンが出てきます。主人公同様、四肢不全の司教が出てきます。「命を粗末にするな」というお言葉。これに対し、本人も、そして家族も「うるさい」と門前払い。まさに、本当に難題に直面している人間の苦悩と決断を出しているのです。それ以上につらいのは、健常者であり、家族唯一の稼ぎ主で弟思いの兄が「なぜお前の自殺を手伝わなければならんのだ?」と怒りに満ちて、思いをぶつけると、四肢不全の主人公ラモンは…
「冷静に考えてくれ。もしも兄さんが、きょう事故で死んだら、僕は、そして残りの家族は、誰が養う?」と投げかけます。絶句する兄。
残りの家族とは、兄の妻、未成年の長男、父、そして四肢不全の弟。確かに養える人はいない。絶句するのもうなずけます。迷惑をかける。。。だから命を消したい。。。という台詞。まさに極限状態。自分が兄の立場、弟の立場だったら、どんな選択をするだろうか?ということを、真剣に考えさせられます。
この四肢不全は先天的なものではありません。原因は事故。僕の小学校時代の友だちの中にもひとり、自動車の事故で半身不随になってしまった人がいます。まさに一緒に学校へ通った友だちだったのですが。。。
(その彼の紹介サイトはこちら)
事故直後の彼は四肢不全と同様の状態。まさに寝たきりの彼を僕は見舞いに行ったことがあり、ただ呆然と寝ながら、希望を失った声を出していた当時の彼のことを思い出しました。もちろん、今の彼は車椅子で、はつらつと生きていますよ。リハビリと強い意志の甲斐あって、今の彼には、むしろかっこよさすら伺えます。この映画は、誰でもこのような状態になりうる。。。という隣り合わせの危機を話題にしているだけに真剣に見てしまうのです。どうぞお早めにご覧下さいませ。
それにしても。この映画を作った監督って、僕とそんなに年齢が変わらないそうな。で、見てて思ったのは。
「ひょっとして小津安二郎の影響を受けていないか?」ということ。たいしたことではないかもしれないけれど、そういうカット割りが多いのに気づいた。特に人物描写のカット割り。まぁこんな議論って、超マニアックなので。知った人だけで楽しんでみてください。しかも僕の勝手な感想なので。単なる偶然かもしれないので、あまりデカいことは言えませんがm(_ _)m
ほんと!素敵な人ね~
大変な現実を受け入れるまで どんなに苦しかったことでしょう><
彼にそんな強さを与えたものはなんなんだろう?
足が動かないこと それはむしろ彼の個性?
そう思えるほどはつらつとしてる~♪
世の中 なんの楽しみも無く なんの目的もなく
生きてる人って多いけど。。。
(夢中になれるものが無いって さみしいね~)
彼は打ち込めるものがあって 輝いてる☆
足が動かなくなったからこそ得た物 多いみたい!
人脈という大きな財産も
はじめまして^^
この映画は偶然見かけたテレビ番組で大絶賛されていた
映画でした。アメリカの尊厳死の裁判が大きく取り上げられていた、ちょうどそのときに紹介されていた映画なので私も一度見てみたいです。
尊厳死ですか…。「生死」が自分の問題になっているか試されますね。
「生」の対義語は「死」と思うのが普通でしょう。しかし「生き続けること」は「殺し続けること」でもある(他の命を食べて、我が命が長らえる)んですよね。宗教的には「生」の対義語は「殺」と気付かされるのです。どんな宗教でも、「教え」を学んだり、聞いたりするけれども、「教え」にかなうように生きるのは難しいものです…。
私は、尊厳死には賛成できません。臓器移植(脳死)についても然り。法律で人の死を決め、極一部のお金持ちのために臓器移植があるようなもの。先進国の一部の人だけですよ。金がものをいうのか…、残念だ。
この問題って、ものすごく関心が高いですね。
僕はどうしてもこの映画が問う問題に結論を出すことができません。
まぁただ先日この映画を作った映画監督のインタビューが
AERAに載っていたのですが、彼曰く。。。
「僕がラモンの立場だったら、力強く生きますけどね」と。
彼は最終的に「生きる」ことを礎にしてこの映画を作ったようです。
ラストシーンも「生」のシーンで終わっている。
ただ、「痴呆が進んでいる状態の『生』」と
「意識と自立のある状態での『死』」のどちらがいいですか?
と僕らに問う形で映画が終っていた。(ネタバレごめんm(_ _)m)
難しい。答えを出せません。。。。