先日の子どもたちの話を書いて、しれっと反響があった。
やっぱり、みんな近い将来の自分の子どもたちの教育へ
多大な関心を持っているようだ。
そらそうだな。
なんとか、バカチンになってほしくないなぁ、とか人並み程度は…
なんつーのは、月並みだけど親の本音だろうなぁ。
まぁコメントの書き込みにも入っていたのだが
僕も実はひごろから子どもに言い聞かせている言葉がある。
「勉強」と「学習」の違いですね。
聞いた話によると、「勉強」とはそもそも使役、強制という意味があるらしい。
中国での本来の感じの意味だとか。
そんな中国ではstudyのことを「学習」と読み書きする。
韓国では「工夫」だ。どちらも創造的な視点が存在するね。
他方日本は「やらせる」「やらされている」感が見える。
これじゃあ子どもに本当の意味での知識・知性はつかん。
思うにこれは「目的」と「手段」のはき違えが、親側に多いのでは?と
感じるのです。つまり「勉強せぇ」とか「塾に行け!」という前に
「学ぶことで何をする?どんな人間になる?」
「これが何の役にたつ?」「学ぶとどれだけ得をするのか?」という
視点で学習内容と向き合うことが重要かな?と感じています。
僕は少なくとも日ごろから、子どもたちとはその視点で
一分一秒をすごしておりますが。。。。。どうでしょう??
まぁ。
ただその説明をするためには。
やっぱり親が学習せないかんですな。
というか。
あまり時間がないから「勉強」か?
こういう使い分けは便利だ。