予備校に通っていた頃からの友人でsom君がいる。このブログを大変よく読んでくださる人だ。彼は彼で相当博学であり、何をしゃべっても
面白いので久々の再会が楽しみだった。
そこで、かなりの時間を費やしさまざまな話で盛り上がる。その中でものすごーくマジメな話になった。
話の発端は「博多祗園山笠」。ただ単にもうすぐシーズンだ!的な話だったのだが。
そこから。何故「お祭り」というものが日本に数々あるのか?という話をした。
「お祭りの趣旨」はよくニュース等で出ますがなんのことない、つまりは大衆の鼓舞だったり啓蒙だったり一致団結をあおったりしたことは否めない。
で。
その昔々、日本人や政治の主導者たちは大衆をまとめるために何を利用したか? それら「お祭り」の根拠たる「宗教」なわけだ。
そのむかーしむかしは「神道」が日本にあった。そこに「仏教」が入ってきた。一発目に「宗教」を使った張本人は聖徳太子だ。よくご存知のとおり。
為政者が「寺」を作ったわけだ。日本の歴史上初めてのことでしょ。有名どころでは。。
「仏教」の活用はその後も続く。飛鳥時代~奈良時代は仏教イヤーだ。大仏できーの、東大寺できーの、鑑真が来ーの。で。だんだん天皇は坊主がウザくなる。
794ウグイス平安京という語呂合わせを、僕の社会科の先生は「794坊さん平安京」と覚えろと教えてくれた。
政治の場から坊さんと仏教を追い出すための遷都…という「理由」を覚えさせるためだった。よか先生じゃ。
で、平安時代。仏教が切り離され、遣唐使は廃止。貴族は蹴鞠に和歌。でも平安時代は、平安じゃなくなった。末法思想があったから。
今で言うところの世紀末・ハルマゲドン的思想。結局、仏教にすがった。じゃないと大衆をまとめらんない。平等院鳳凰堂ができたころからだ。
その後は武家の時代。でも大衆は仏教に心酔。鎌倉時代は6仏教が誕生。ますます彼らのよりどころになる。よりどころになりゃ、前回の歴史と同様、そこから200年もたちゃ力を持ち出す。戦乱が終わり、天下を取るものが出る頃に、やーっぱり坊さんがウザくなる。 今度は織田信長だ。
だから比叡山を焼き討ち。でもまだ力が残ってる。そこにちょうどいい新しい宗教がきた。キリスト教。信長はそれを利用した。まるでてめーが神みたいに。秀吉は、もっと宗教を警戒。本願寺を超マーク。でもそれだけではなく、信長が奨励したキリスト教も警戒しだし、禁止に走る。この福岡で禁止を発したくらいだからなぁ。とまぁこんな感じで、鎖国でキリスト教はおしまい。
仏教が浸透しつつ…でも明治になりゃ廃仏毀釈でまたもや神道…。なんでここまで為政者は宗教を怖がり、宗教を管理したのか?それは大衆の煽動に使いやすいからです。
言い換えると、それは敵に回ると政治の転覆のリスクとなるからです。地域を問わず支配するすべての人に「等しい価値観」を仕込むには宗教ほど使い勝手のよいものはない。ということですね。そんな宗教を20世紀になって初めて為政者は手放しました。どうして??では代わりに何を手に入れたのでしょう?
おわかりでしょう。「メディア」です。マス・メディアこそ「宗教」に匹敵する「大衆煽動ツール」なわけです。日本では、これで十分ですね。
でも最近はアルカイダの例ではありませんが、宗教とメディアとを両方使う例が出てきているので、ますます大衆を煽りやすい方法が浸透しつつあるわけです。これは怖い。まじで怖い。