そもそも石焼きビビンバを考えた人は誰か?を探ってみた
そもそも論で、私の仕事がら、お客様や知り合いの方々からよくこんな質問を受けます。「なぜ放送局の仕事で、韓国との係わり合いができたのか?」「なぜ取材では通訳を雇えたのに韓国語を習ったのか?」などなど。
さかのぼりますと、以前僕が勤めていた放送局で、1998年ごろから韓国との関わりがある取材を行ったあたりがきっかけです。当時は日韓サッカーワールドカップの共催が決定し、JR九州の高速船ビートルかアウトバウンドのお客様獲得に向けて、果敢にテレビ局へタイアップ取材依頼をしていた頃でした。そんな外部環境もあり、韓国向けの企画提案かしやすい頃だったのです。
その中でも強烈だったのは、私が提案して金曜の夜の1時間枠をいただいて敢行した特別番組の取材。舞台となる場所はソウルの全州中央会館。1999年でした。
福岡のフリータレント、西田たかのり君と2人で、当時ブレイクしだしていた「石焼きビビンバ」の創始者を探すというドキュメントバラエティ(ドキュバラ)番組を単発特番で行った経験が、私個人としても後々への影響が大きかったかもです。
実はこのテーマで日本の放送局が取材に来た最初の事例だった
ちなみに石焼ビビンバとは、朝鮮戦争後に生まれた食べ物です。創始者は、全州中央会館の南宮 省(ナムグン・ソン)社長。
韓国では珍しい漢字2文字のお名前です。釜山へ渡り、そこから取材に合わせて釜山→全州→長水→ソウルと朝鮮半島を縦断し1時間番組を作りました。
その当時、南宮社長から聞いた話題では「あなたが日本から来た最初の取材者ですよ!」とのこと。お世辞かなぁなんて思っていたのですが。。。。どうやら間違いないようです。
確かにCXや日テレより早く取材した実績が本店の店頭に掲げてあります。ただし2000年じゃなくて、1999年なんですけどね。今も明洞(ミョンドン)の本店に行くと、しっかり貼ってあります(笑)
ようやくビザなしで自由に取材ができるようになった頃のお話
当時はまだインターネットもあまり普及していない時代。そんな頃の隣国は面白い話題が多い。共通点が多い。言葉の壁を越えれば、かなり面白いことができる。現場でそんな実体験をしたこと、自分で痛感したことが、今の仕事の種を生み出した1つのきっかけではあります。もちろんさらなる背景はありますが。。。たまに食べたいですね。石焼きビビンバ。
番組そのものがYoutubeにございましたので、貼っておきます。消えない限りはご覧いただけると思いますので。