きょうは、仕事とは直接関係がないものの、とある理由から福岡県議会議員という職の者と、福岡市内にあるとある料亭に付随するカウンター席で食事をした。
カウンターで食事をしていると、隣の席の人も話に加わり、さらに盛り上がるから面白い。
きょうの私の横に座った方は精神科医だった。
精神科医と議員。世間では先生と先生。
でも、こんな組み合わせでのトークは、恐らく一生のうちでもそう聞くことはないだろう。その一幕で興味深い話を聞いた。
テーマは「世界平和」。
議員の先生は先生A、精神科医の先生は先生Bとしましょう。
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- 先生B 先生Aさんの、議員としての最終目標は?
- 先生A 実は子どもの頃から、ずっと思っているのですが『世界平和』です。
- 先生B ほう!
- 先生A 世の中、これだけ科学技術が進歩しても戦争・殺人がなくならないのは何故か? ボクは政治家に責任があると考えます。戦うことを政治家が外交・交渉で未然に防ぐ・・このことこそ、政治家の使命だと思うのです。
ボクも思わずうなずいた。やはり政治家にとって外交はダイナミズム。そして戦争状態を防ぐ、唯一で最後の手段は、やはり外交だと思っていた、からね。
すると、先生Bさんの口から、意外な話が出てきた。
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- 先生B 人間にはそもそも『闘争本能』があります。それは人間が人間である前に動物だから。本来持っている本能を抑圧することで、別のストレスが生まれるというのが精神医学的な考え。どこかで戦いたい気持ちや戦争をしたいという気持ちは人間の中には絶対に宿っています。これを『こうあるべき!』『こうでなければならない!』という理性で、一方的に抑えこむことによって、破綻を来たし、ひいては『キレる』という行動に人間は出ます。
「な、なんですと!?!?!」 この後にどんな言葉が出てくるのだろう??
- 先生B 『投影性同一視』と精神医学的に言いますが、自分で人に暴力を振るったり、殺したりしてはいけないことをわかっているために、あたかもそういう気分を味わおうと人間は行動する。それが格闘技を見ることだったり、ワールドカップで民族・国同士の争いを助長することだったりシューティングゲームをすることだったりするわけです。人にとって『争い』は必要な要素であることを踏まえた上で、どうバランスをとった政治を行うか、結構重要だと思うのですが・・・。」これを先生Bは、最後にひとこと「人間には『闘争本能』があるから・・・」
とまとめました。
驚いた。
けど、かなり納得した。確かに理性だけで人を動かしたり、まとめたりできるほど人間って甘い生き物ではない。動物なんだから。人間が動物であることを忘れたイズムは、諸説議論はあるでしょうが、私から見ている限りにおいては、確かにすべてロジックのどこかが崩壊している。もしくは矛盾している。社会主義しかり、手をつないでかけっこをゴールさせる教職員しかり。
世には「争い」はあり、排除はできない。その事実の認知と、どう立ち向かうかを認識させることが政治や教育には不可欠だなぁと思った瞬間だったね。 というか、再確認したという方が正しいかな?
ちなみに精神科医の仕事は、年々ニーズが高まっているそうです。
先生Bにしてみれば、小泉首相にかかっているストレスは尋常ではない・・・、と。恐らく日本で一番ストレスの多い職業かもしれないそうな。
議員さんが言っていたことはちょっとおかしいですね。科学技術が発展したのは戦争のお陰なんですから。戦争なくして科学技術の発展はありえません。
しかし、科学の進歩のためだと言ってしょっちゅう戦争をするわけにはいきませんね。だから企業間の争いというのがどんどん激化していっているのでしょうね。
だから、血を流す代わりに金を流してるわけで。死ぬか死なないかの違いで、戦争は日本でも常に起こっているわけです。