先日、とある方とお話をしている際、コーヒー談義になった。
コーヒーには一家言あるようでして、おいしい豆の話の隙間にこういう言葉があった。
「最近のスタバとかなんちゃらのコーヒーは不味かでしょうが!」と、博多弁でもらしんしゃったとです。
スタバのコーヒーはうまいのでしょうか?まずいのでしょうか?これは僕なりの結論ですが。スタバのコーヒーがうまいか?まずいか? マーケティング的な答えは…「どうでもいい」です。
まぁ建前上は、スタバの連中はこういうでしょう。「豆を吟味し、フレーバーをお客様に堪能してもらうために…云々」と。ならば、1杯ずつたてんかい!というのがコーヒー好きの言だ。
でも。
それでもスタバには老若男女、数々の客が列を連ね店に居座り、うまいかまずいかわからんコーヒーを飲む。フラペチーノをほおばり、結構高いフードを食う。
以前、僕の同じ職場に通称クマちゃんという大先輩がいた。クマちゃん的営業を引退まで貫いた、大先輩だ。クマちゃんはスターバックが好きだった。スターバックスではない。スターバック。
ある日、僕にこう言った。
「あんた、スターバックっちゃ知っとんね?(自慢げ)」
「…スターバック?!ですか?スターバックスではなく…」
「そうたい!スターバックたい!岩田屋んとこにあろーが、ったい!」
「あぁ、お好きなんですね!スターバックが。」
「だって、座れろーが、いつでん。タバコもなかしねー。」
およそ日本語とも思えぬような会話ですが、ここにヒントがあります。
なぜスターバック…もといスターバックスなのか?客はコーヒーを求めて来ていない。ということでしょう。
そのとおりでスタバが提示するキーワードは「サードプレイス(第三の場所)」
…家でも会社・学校でもない空間の提案・提供。。。なわけだ。
やはり思うのは、「コンセプト」がいかに重要か?ということ。事業で言うならば「ドメイン」と言い換えてもよい。これを明示し、ハードソフトとすべて一貫性を持たせ従業員に教育し、等しいサービス・商品を顧客に提供する。。。。という「コンセプト」と「その実現」ですね。
というスタバの論理を借りれば。。。
彼らは「商圏ごとに均等に店を配置」なんて概念はない。サードプレイスを求める人が多い地には、スタバがいっぱいできそうでない地にはまったくできない。福岡の場合は天神に次々とできる。
先日、おどろいたのは、西通りと国体道路の交差点にあるアップルストアの2階にスタバがあるにもかかわらず、国体道路を渡った反対側に、今スタバが完成しつつあること。天神にはスタバができては、すぐに満員。またできて、すぐできて、それでも人は埋まる。すごい話だ。
天神だけで、ハッチェリー(クマちゃん的には岩田屋)、本当の岩田屋本館1階、ジュンク堂横、西通り、地下街、アップルストア2階…と、こんだけある。人はうまいコーヒーを求めているわけではない。スタバという「空間」を求めてさまよって、スタバはそれを作っているだけだ。
スタバの競合はおよそ「空間」を提供するすべての業種だ。だからコーヒー屋以外に敵は多い。店に行くたびに、通るたびに、こんなことを考えてしまう。。
ちなみに。福岡において、スタバが出展を止めたのは西新くらいじゃなかろうか?あとは止めたという話を聞いたことがない。それどころか。郊外店が増えている。最近目立つのはゆめタウン。サードプレイスはどのような立場の人間にも受け入れられやすいコンセプトのようです。