きょう仕事で福岡市から、ちと離れたところへ赴いた。
とは言っても、そこは「市」であり、JRの駅もあり、名前も通ったところ。
あくまで福岡市から見たイメージですが・・・。
ご一緒した方の出身地でもある、この○○市。
ご本人も数年ぶりに戻りがてら、仕事の案内役をしていただいたわけ。
(以下の話題を考えて、町の名前を伏せることにしました。町の名誉のために・・・)
で、駅前に車を止めて何気に中心街をぶらついてみたのです。
驚いたのは、中心街であるはずの商店街のシャッターがほとんど閉まっていたのです。
さらに、その商店街の隣の通りに至っては、すべてのお店がシャッターを閉めていました。
「昔はこの通りにリヤカー部隊みたいなのがいっぱい出てて、活気があったんだけど・・・」
思わずご一緒した方が、そう漏らした。。。
よほどショックだったよう。
そりゃそうだよなぁ、自分の生まれ故郷が寂れ行く様子を見て喜ぶやつはいない。
目的地のとある御宅へ。。。
「寂れている町で、自分たちが寂れたらイカン!」と、その御宅の女将さんはおっしゃった。
「呉服屋の店の者が、ダラッとした格好しとるから、ますます寂れる!着物を着なごて!」と。
話を聴いて、志ある地元の方が思うのは・・・
町の寂れは外の殻をキレイにしても治らない。人の気持ちやヤル気を変えない限り町は寂れ続ける。
そういう意味で「ゴーストタウン(幽霊町)」だとおっしゃっていたのに、なるほど!と感じたわけで。
前述のリヤカー部隊の話。
実は、「通りがふさがる!」とか、「本来の商店街の売上が下がる!」といった理由で商店街が
リヤカー部隊を締め出したそうな。で、その通りに活気がなくなると途端に人通りが減り
商店街そのものが死んでいったよう。
まさに「貧すれば鈍する」。
実は福岡市内にもリヤカー部隊が集まる場所がある。
以前取材に行く際、商店街に許可を取りに行ったら、商店街の組合の方々が
「マスコミはリヤカーばっかり取り上げる。商店街自体を取材せんかい!」と
クレームをもらったことがあるのです。
まぁ一概には言いにくいですが、この「狭い」考えを貫くと、町を死に至らしめる恐れがあるのを
きょう改めて感じたわけです。
目の前の結果に一喜一憂するあまり、お客さんのニーズや動員という最も重要なファクターを
見逃すことが最も危険。
「私怨を超えて大義を取る」
この気持ちを持たないと、「活性化」なーんて実現不可能。みーんな郊外型の大型店舗にやられる。
ある意味、この終焉の町を見ることで、
他の町が考えを変えると今後の予防策になるんじゃないかと思うわけなんだけど。
そういう自虐的な人身御供になってみらんかいな?いっそのこと。
ちょっと酷かな?
「寂れ」を防ぐために
「起業家募集」を促す傾向も各地多い。
けど、どれだけがんばったって、その町に集客効果や動員効果がなければ
町の活性化にはつながらない。
その土地に人を呼ばずに儲ける起業は、それはそれで出来るでしょう。
けど、商店街のメンバーは空き店舗を上手に利用して起業して欲しいという考え。
根本的に合わない。
起業家の募集をするのは大いに結構ですが、一方で集客に対する根本的なアイデアを
出し続けない限り、ゴーストタウンは増える一方だと思うんだけど。
もっと知恵を出そうや。みんなぁ。。。