今朝方、新聞を読んでて「おぉ!」と思う一説があった。
相変わらず日経新聞の春秋は面白い。
韓流ブームに乗り日本でも有名になったが、ソウルの流行発信地といえば江南(カンナム)地区だ。 市内をゆったり流れる漢江(ハンガン)の南側にブティックやカフェが集まり、高級マンションも立ち並ぶ。 川の北側にある明洞(ミョンドン)など古い繁華街とは空気が違う。 ▼江南の発展は朝鮮戦争の副産物だという説がある。かつて漢江に架かる橋が崩落し、 北側に残された市民は逃げ場を失った。有事の際は南側のほうがずっと安全だ。 その教訓が江南人気につながった――。たしかに、ソウルから板門店まではわずか60キロ余。 首都の北郊に軍事境界線が横たわっているのが現実だ。 ▼ソウル五輪のころにはそんな脅威を口にする人が少なからずいた。 有り金をはたいて江南に中古マンションを買ったサラリーマンがとても安心した様子だったのを 思い出す。が、危機感はすっかり薄れ、ここにきて風向きが変わったとはいえ、北朝鮮の空襲を 想定した先日の定例退避訓練も関心は低かったという。 ▼日米韓の外相がソウルに集うなど北朝鮮情勢をめぐる動きがあわただしい。 38度線の緊張を肌身に感じ、民族分断の苦しみを乗り越えて今日の繁栄を築き上げた韓国。 いま、独裁国家の暴発を封じ込めるために、韓国は自らの経験と知恵をどう生かすのか。 全長500キロに及ぶ漢江は北朝鮮領内に源を発している。(日経新聞 春秋(10/20)より抜粋) |
以前、ソウルに行けば必ず立ち寄ったは川の北側。
主流となるのは、明洞(ミョンドン)・新村(シンチョン)など。南大門市場やら、東大門市場など
昔からの韓国がそこにあり、昔からのガイドブックには大抵載っている場所。
自分自身が、それらの場所に関心を持たなくなったことに気づく。
自分自身が、あまりその近くに行かなくなったことも気づく。
情報が発信され、パッションがあるのが漢南になったからだ。
朝鮮戦争が終わってすぐは南北の力が軍事・経済とも均等だったが、それから早53年。
北は貧困の国となり、南は2度の経済発展を経てIT立国の雄になった。
いまや文化とナレッジ、そしてキャッシュが集まる国のひとつ。
恐らく南北が戦争を始めても、そして仮に奇襲が始まっても。
その後が続かないことは目に見えている。
そこに現実味を失った停戦状態の国があるのかもしれん。
なんでか?
今更ですが、戦争で最も重要なのは「兵站」と「補給」。
どちらも関わるのは「物流」と「本国の物資備蓄能力」。
人道支援を受ける国が戦争をできるのか?
結果は火を見るより明らかです。
行くも地獄、とどまるも地獄、ギリギリのカードを切りつくした感がある北朝鮮。
時間の問題じゃないか?やはり。
漢南の発展と、有名無実化した停戦を見ていると、どうしてもそう思ってしまうな。