先日、高校時代の友人からハガキがとどきました。
第3子が生まれる予定であることを前々から聞いていたので
おおかたそのお知らせだろうと思い、ハガキを裏返すと・・・
男の子が生まれたという言葉に続いて、
「生まれつき脳に障害がある」と書かれていました。
6月に誕生してから、今も病院での面会を余儀なくされているようで
まだまだ落ち着いていない様子です。
障害者の生き方への取材をマスコミはよく行います。
何かにつけて障害の話題を取り上げる局や新聞社も存在します。
昔、障害者の取材を上司に指示されたことがあったんですが
断りました。「ボクにはできません」という断り。番組化で自ら断ったのは
多分後にも先にも、これ1回だけだったと思います。
なぜか?
実はボクの通っていた小学校には障害者学習がいち早く取り入れられて
おりまして、子どもの頃に初めて「障害者」の人を体感しました。
人権啓蒙や障害への理解など、とてもとてもない時代。
ボクも含めて当時通っていた障害者の男の子3人を、いじめたり変な目で見たりした
経験があります。それもかなりロコツに。今じゃ考えられないことです。
何を聞かされてもまともな理解ができなかった低学年のころ。
ようやく障害者のなんたるかを知ったのが小学校6年生のころ。
とんでもないことをやってしまった・・・信じられない考えを持っていた・・・
ということを自ら知ってしまい、これが逆にボク自身の深い心の傷になってしまいました。
つまりいまだ「直視」できないんです。「障害者」の現実・現状に対して・・・
ゆえに、もらったハガキ自体・・・いまだ直視できていません。
今度、友だちに会ったときにどんな話ができるんだろうか?
そのときの自分自身を想像できないんです。。。
ボクの周りで子どもが生まれた知らせはよく届きます。
その中で障害がある知らせが来たのは、これが初めて。
本当に未だにショックを隠し切れないボク自身です。
私の小学校の同級生に障害児いました。
私は、打たれて(暴力でなはいけど)泣かされました。
彼のおかげでクラスとしてはまとまっていたね と
大人になってから同級生と話しています。
中学校は、障害児クラスがありました。
当然 学校生活・行事に溶け込んでました。
(でも、役割分担はあったような)
で 現在。
自分の産んだ子供であれば 受け入れるという感情以前の問題として
母性が勝るでしょう。
では、親族の場合は?
では、職場にいる場合・仕事する場合は?
仕事関係にも 障害児や精神的に不安定な方。受け入れているとは言い切れない現状です。
障害を持つこどもの親は
言われなくても頑張ってるし
慰められても常に悩みを持ち続けるだろうし
僕らが掛ける言葉って、本当に無いよね。
励ましも慰めも、本当にただのコトバにしかならないから。
このエントリー読んで、小一時間考えたけど
やっぱり答えが出ない。
難しいね。